将来の不安について──聖書はどう考えているの?
- 高松西キリスト教会

- 7月20日
- 読了時間: 3分
更新日:7月28日
「老後のお金は大丈夫だろうか。」
「健康を失ったらどうしよう。」
「子どもや家族の将来が心配。」
「このままの人生でいいのだろうか。」
将来について考えると、不安になることは誰にでもあります。
特に、人生経験を重ねるほど、「思い通りにならないこと」があると知っているからこそ、不安は大きくなるのかもしれません。
では、聖書は「将来の不安」をどのように考えているのでしょうか。
不安があることは悪いことではない
聖書には、信仰の人々も不安を抱えた姿が数多く記されています。
モーセは自分に使命を果たす力がないと感じました。
ダビデは敵に追われ、命の危険の中で恐れました。
預言者エリヤは疲れ果て、「もう十分です」と神に訴えました。
つまり、不安そのものが信仰の欠如だとは聖書は教えていません。
むしろ、「不安を抱えたまま神に向かう人々」の姿が描かれています。
私たちは未来を知ることができない
将来が不安なのは、未来が見えないからです。
どれだけ計画を立てても、病気や災害、仕事や家庭の変化など、自分ではどうにもならない出来事があります。
だから人は、「もし○○になったらどうしよう」と考え続けてしまいます。
しかし、聖書は未来を自分で支配しようとするのではなく、「未来をご存じの神を信頼する」という考え方を示しています。
「明日のことまで心配しなくてもよい」
イエス・キリストは山上の説教で、こう語られました。
「ですから、明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。一日の苦労は、その日一日で十分です。」(マタイの福音書6章34節)
この言葉は、「将来のことを何も考えなくてよい」という意味ではありません。
イエスは、必要以上に未来を思い悩み、今日という日まで失ってしまうことを心配されました。
私たちは、まだ起こっていない出来事のために、今日の平安を失ってしまうことがあります。
だからイエスは、「今日という一日を大切に生きなさい」と語られたのです。
神はあなたをご存じです
続けてイエスは、空を飛ぶ鳥や野に咲く花を例に挙げました。
鳥は畑を耕えません。
花は自分で美しい服を作ることもありません。
それでも神は、それらを養っておられると言われました。
そして、
「あなたがたは、それらよりも、ずっと価値があるではありませんか。」
と語られます。
これは、「何もしなくても大丈夫」という約束ではありません。
「神はあなたの存在を知り、あなたを大切に思っておられる」という希望のメッセージです。
不安が消えることより、大切なこと
信仰を持てば、不安が一瞬でなくなるわけではありません。
人生には、病気や別れ、経済的な困難など、さまざまな試練があります。
しかし、聖書が伝える希望は、「困難がなくなること」ではなく、どんな時も神が共にいてくださることです。
暗い夜道でも、信頼できる人が隣にいると安心できるように、神の臨在は私たちに平安を与えてくれます。
おわりに
将来への不安は、人間である以上、誰もが感じるものです。
だからこそ聖書は、不安を責めるのではなく、その心を神に向けるよう招いています。
もし今、あなたが将来に不安を抱えているなら、一人で抱え込まず、まずは聖書の言葉に耳を傾けてみませんか。
未来は私たちには見えません。しかし、未来をご存じの神は、今日もあなたを見守っておられます。
「あなたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたのことを心配してくださるからです。」
― ペテロの手紙 第一 5章7節
聖書は、不安を抱えた人に「もっと頑張りなさい」と語るのではなく、「その重荷を神に委ねなさい」と優しく呼びかけています。その言葉が、あなたの心に小さな希望の光をともすきっかけとなれば幸いです。


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